星零と月屑 (ほしこぼしとつきくずし)







 それは人も木も眠ってしまう、天上に住まう身だけが囁き始める刻のお話。
 目覚めた星々が楽しそうにお喋りする中、誰よりも高い場所で輝く三日月に、一人座る者がおりました。髪は薄い金色で、着ているリネンの衣も同じ色。ただ、星を見下ろす瞳はひんやりと、銀に揺らめいて、万のさざめきをうっとおしそうに眺めていました。
「ねぇねぇ、君」
どこからか声がしましたが、三日月からは姿はおろか、所在を教える灯(あかり)さえ見えません。
気のせいだと屑は思いました。星達はお互いに、青や赤に瞬く自分の色を自慢し合う事はあっても、月を相手にする者はおりません。実際、比べるには、屑は一人だけ目立ちすぎました。だからもう一度、「ねえったら!」と、怒ったように呼びかけられたのに、屑は本当にびっくりしました。
「やっと気付いてくれたね」
にっこりと、その星は笑いました。
「僕は最近生まれたばかりだから、声も届かないのかと思ったよ」
そう言いましたが、なるほど、屑が気がつかなかったのも無理はありません。屑からそう遠くない場所におりましたが、彼の持つ白い光は四等星よりも小さく、風が吹いたら消えてしまいそうなものでした。かんむり座のアルフェッカのように、豪奢な王冠を頭にしているわけでもなく、レグルスのように、鬣の立派な獅子を引き連れているのでもありません。彼は白い木綿のシャツを着て、殆ど人間のようでした。
「僕は、コボシ。君はなんていうの」
「…クズシ」
零は「クズシ」と一回反芻して、とても嬉しそうな顔をしました。
「僕、君を知ってたよ。本当に君は一等綺麗だねぇ」
それは他意のない、心からの褒め言葉だったのですが、
「綺麗なもんか」
屑は忌々しいったらない、というように吐き捨てました。零の赤茶に焼けた髪や、緑の瞳、身軽なズボンの方が、よっぽど羨ましく思えたからです。姿形を褒められても、嬉しくも何ともないのに、空のてっぺんで飄々としているのが自分の仕事のようにされていて、遠巻きにされるのが、屑にはどうしたって我慢なりませんでした。
―みんなは仲間達と寄り添って、あんなに楽しそうに騒ぎ立っているのに、どうして自分だけ遠く離れて見てなきゃならないんだろう。
「それは、一つしかないからだよ」
零は言います。
「僕の仲間はいっぱいいるけれど、君は一人しかいないもの」
「月が一つだなんて、誰が決めたんだろうね。独りぼっちの寂しさは、神様だってご存じだろうに」
屑が愚痴ると、零は「あぁ、そうなのか」と頷き、
「だったら僕が相手をするよ。ここからは声も聞こえるし、下に見える物を君に話す事も出来る」
「本当に?」
「ああ、本当さ」
 
 それからは、零はいつも屑と一緒でした。屑は下に降りられませんが、零が自分の見たものを話すのが面白くて、くすくす笑って聞くのが好きでした。零の祖父は世界中を巡って、色んな灯を集めているのだと言います。
「凄いんだよ、街の光というのは。一日中灯って消えない時もあるんだから」
「それは僕達のようなもの?」
屑もたまにそれを目にするのですが、地面に降りられる零のように近くでじっと見た事はありません。雲が出たり雨が降ったりすると、屑の所からは、下が真っ暗な海になったように見えます。
「さあ、どうかな」
零は今もピカピカ輝いている下を向いて、昼の空より目映い街に目を凝らしました。
「僕には明るすぎるけれど―あのね、クズシ」
零はちょこんと座り直して屑を見上げました。
「僕、また地面に降りて、今度は長く灯を探して集めるんだ。おじいさんの手伝いじゃなくてね。君と一緒にいられなくなるのは寂しいけれど、僕は空で一番の灯り取りになって、綺麗な色のを沢山集めてくるよ。そしたら君にそれをあげられる。何年かに一度、地面に月がうんと近づく日があるだろう。僕が見てきた灯の事、君に話してあげたいんだ」
その真剣な表情に、屑は嫌だとは言えませんでした。
「また空に戻ってくるのだよね」
「そうだよ、約束だ」
「約束だね」
二人は手を伸ばして、指切りの真似をしました。





 大きな木が立つ丘の上。月が木に寄り添った、その日はとても大きな満月でした。丘の下から駆けてくるのを、屑は今かと待っていました。
 空には普段以上に星が瞬いて、丘を明るく照らしていました。零が地上に降りてから、もう何年も経っていました。下は相変わらず賑やかで、騒がしく、雪が降る季節だけ静まりかえり、また返り咲いたように灯を取り戻し、ただ見るだけの屑の胸をちくりと刺すような、素敵な色を湛えるのでした。
 丘を零が上がってきました。肩には頑丈そうな袋を抱えています。屑を見ると、嬉しそうに手を振って、一気に駆け上がってきました。その体には、光の筋で出来た二本の足と、二本の腕。きっともう、何処にでも行けるのでしょう。
「クズシ、灯をいっぱい集めたよ」
内緒の宝物を大事そうに見せる子供のように、朗らかな笑顔で零は袋を開けました。
「これは街灯の一つ。僕達が上で見ていたものの仲間だよ。こっちのはね、この細い筒に入っていたのだけれど、点けると煙が出てきちゃう。山の嶺に添って行ったら、大きな燈篭があって、それも分けて貰ったよ。ごうごうとして、幾らでも燃えていられるんだ」
零の手の平に乗せられた灯はどれも見た事がなくて、青や黄色の燃え方も、星が纏っているのとは異なっていました。それ、と放り上げられた光の玉が、ひゅるりと高く登って弾け、大きな花を作りました。それは自分の居場所を忘れるぐらい、優雅で儚気な灯でした。
「綺麗だねぇ」
そうだろう、と零は満足そうに微笑みました。
「旅は長いのかい」
「ああ、まだ半分だよ」
今度は北に行ってみようと思うんだと、零は言います。灯なんて無さそうだけれど、もしかしたら珍しいのがあるかもしれないと、まだ見ぬ場所に希望を持って目を輝かしています。
屑は注意しました。
「気を付けて。北は何だか嫌な感じがするよ。一日中燃えない灯―街とは違うのを見かけたよ。とても強そうな灯だった」
「大丈夫だよ」
零の笑顔は、空にいた時と変わりません。緑の瞳が優しげに瞬きます。
「いいのを見付けて、十分身につけられたら空に戻るよ。そしたら君のもっと近くへ登っていける」
星はその光があまりに弱いと、月の光に掻き消されてしまいます。だから誰も、月を綺麗だと褒めてくれても、傍に来たいと望む者はおりませんでした。―零以外には。
「それじゃあね、クズシ」
「また会おうね、コボシ」
屑には、零のように地面を歩ける足がありません。袋を担げる腕がありません。後ろを向いていつまでも手を振る零を見ながら、屑は少しだけ悲しくなりました。

 ―それから、また、何年も経ち。

 屑は丘で待っていました。零がまた笑って、こんなのがあったよと、珍しい灯を見せに来るのを。
 零が北に行くと言ってから、天の周期で相当の時間が経ったある夜、足下が急に赤く光り、凄まじい爆音が空にまで響き渡りました。零と見ていたいつかの街は、それ全体が一つの火のように燃えていました。素速く点滅する黄色い光が、四方に飛んで、唸りと共にそこら中に落ちていきました。それは、北の方も同じでした。
そして、その時から、零は姿を見せなくなりました。
 空の灯は変わらず輝いていますが、地上の灯を見付けるのは困難になりました。陸は剥き出しの土を晒して、昔見た、あの楽しそうな七色の灯は何処にも見当たりません。もういないよ、と星が囁きます。熱い光にやられて、消えてしまったのだと。
「そんなの嘘だ」
どんな風に言われようと、屑は諦めませんでした。とぼとぼ歩きながら、丘に差し掛かっては零の姿を探し、そうして一年、また一年。
 東を西を、巡るうちに、何処でだかこんな話を聞きました。北の奥に不思議な人がいる。その人が手をかざすだけで洋燈(らんぷ)に火が灯り、みんなを暖かくしてくれるのだと。そんな事が出来るのは、人間にはおりません。
 丘からずっと北の、北の方。灯が点々とする、雪に閉ざされた村。見知った顔のその人が、白く凍った地面に一人立っていました。屑は月の両手を差し出しました。
「…クズシかい?」
応えたそれは、一緒だった時と違わぬ優しい声でした。
「沢山の灯を見たよ。病気の子供の額を照らす蝋燭も、船乗りに合図を送る灯台も、部屋を暖める暖炉の火も、どれもみんなの役に立っていた。でも、何故だろうね。僕が見た中のたった一つだけは、誰の為にもなってはいなかった」

誰の為にもならない灯。街から灯を奪った灯。

「人々は寒いと言って震えてた、だから」
ごめんねと零は言いました。集めていたのを全部、欲しがる人にあげて、袋の中は空っぽになってしまった、と。
「僕はもう何も持たないけれど、この体は少し役に立つようだ」
「駄目だ、駄目だよ零。そんな風に体を燃やしては。君の光がなくなってしまう。空に帰れなくなるよ」
 零の白い光は、今はもう手の平で控えめに輝くだけでした。それが洋燈に触れれば、仄かな灯火が宿るでしょう。でも、そうして暖かな家が一つ増えるごとに、零は星としての光を失っていくのです。
 屑の流す涙は、光の雫になって、ほとり、ほとり、と零の頬に触れては溶けました。零は雪を照らして泣く友達を仰ぎました。そして懐かしそうに目を細めました。
「ねえクズシ、僕は良い灯を見付けたかった」
 空には満天の星。静かで優しい、昔々の住みか。
「でも、やっぱり君が、一等綺麗だねぇ」

 北の大地はとても冷たく、星々は、一層、強く瞬いておりました。

 きらきらと、きらきらと。

 きらきらと、きらきらと。


 やがて土に根がはり、緑が茂り、人が街を作り始めました。街には色とりどりのネオンが灯されるようになり、昼も夜もない、以前の明るさに活気づくようになりました。
 日増しに忙(せわ)しくなっていく地上は、時折、空があるのを忘れがちになるようでした。それでも、欠けるところのない大きな灯が浮かぶ夜、人々はふと頭を上げて、それを窓から眺めました。

 まるで誰かを見付けるように、煌々と輝いている月を、大切な人と一緒に。



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あとがき
数年前、勢いに任せて望遠鏡を購入しました。プラネタリウムも欲しいです。億光年も前の光が届いている、それを思うと不思議な感覚がします。ちなみに望遠鏡で初めて見たのは、月の土でした。
これを書いている最中、素敵な音楽素材に出会い、使用させて頂きました。曲名は「星屑」です。
『 Shinjyou's Music Room』様、本当にありがとうございます!