ままごとです。-5.2-


 野鳥は人になつかないらしい。例え雛でも、成鳥になる前に、ほとんどが前触れもなく死んでしまう。運良く側付きを許されても、飼うのは難しい。餌は2時間単位でやらなければならないし、小さいから力の加減に気を遣う。おまけに鳴き声が大きくて、疲れた頭にとてもこたえる。
 それでもある日突然、巣箱が空になっていることに気付いたなら、肩の荷がおりたという安堵より、いなくなった不安の方が大きいに違いない。すぐ探せばまだそこらに見つかるかもしれないが、見付けない方がいいのかもしれない。
「つまりそういうことだよラズが考えてるのは。無責任だよね」
―半年ほど前のことだ。
裏のバルコニーに、フレイは背中を向けて立っていた。布団を叩いているのだ。緩やかな風がさらさら流れており、干された布団から、細かな埃が舞い上がってはどこかへ飛んでいった。
「ていうか、まだそんなこと考えてるってことに腹立つよ」
いなくなった小鳥は自ら去ったのだ。自分が逃げ出したのと同様に、「外」を見ることが望みなら、追うべきではない。おそらく彼はそう考えている。
「場所なんてようは居心地の問題なのに。飼われた覚えもないし、ゴーマニズムもいいところ」
それは透も賛成だった。ぼんやりしたいつもの雰囲気を頭の中まで押し通せばいいものを、変なところでややこしくするのだ、あの主は。

「ラズ」
四方に目を凝らす長身の男に、透は言った。
「くりぼうはドジで間抜けで、人の気を逆なでするようなことしかしないけど」
本当は、本人が言うべきなんだ。
「あいつはあの家、気に入ってるよ」
遠くを睨んだ視線の矛先を変えないまま、透は唇を噛んだ。背中を軽く叩かれた振動は、ラズの無言の返答だろうか。分かってる、分かってない―どっちだよ。
「あの足じゃそう遠くまで行ってないはずだ。歩けるうちにもう少し探そう。―腹は減ってないか」
「餅がまだ溶けてない」
「ならいけるな」
透は頷いた。
「場所は神社を中心に半径二百メートル内付近。それと、駅だ」


*   *   *


びえええええっ。

もうだめ。もう限界。なんのためだか、声高に泣きわめく少女の手を引きながら、僕はぐうの字もでなかった。お賽銭、けちったのが悪かったのだろうか。今日は厄日もいいところだ。公園を抜けて、僕らは国道沿いに歩いていた。
「ああ、もう、分かったから泣くなよ!」
何も分かってはいないけど、僕はとりあえずそう言っておく。ぴくっと、女の子は一瞬だけ涙をとめた。だけど僕の口調が強かったのか、再び顔をくしゃくしゃに歪ませた。勘弁してよ。
「だって、ママ、おりこうさんにしててって言ったんでちゅよ。ジュースを買いに行って来るからって、でも来ないんでしゅ」
このご時世に、なんて不用心なママだ。
「君、泣くのはもういいからさ…えーと、名前は?」
「たにさわめいでしゅ」
漢字が分からないってのがつらいけど、交番で預かってもらえることを僕はちゃんと知っている。この辺りに見付けられればいいんだけどな。きょろきょろしてたら、裾を急にひっぱられた。
「あっちでちゅ」
交番が?
「どこから来たか覚えてましゅよ」
それって自分家のことだろうか。せかされるまま、僕は一緒に歩いてしまう。朝ご飯に餅をお腹いっぱい食べてきて正解だった。正午を知らせるチャイムが辺りに響き、昼時になったにも関わらず、財布の中身は小銭だけだった。なんとか昼のうちにやり過ごそうと思ってたら、ぐうっと女の子のお腹が鳴った。「う〜」と、メイは泣きそうな顔で唸る。赤字覚悟で僕は付近を見渡した。「大判焼き」と書かれた店が通り沿いに見えた。一つ買ってメイに渡すと、半分を千切ってよこしてきたので、受け取って二人で食べ歩きした。
「どんなママなの」
特徴を知るつもりで聞いた。もしかしたら、向かい側の歩道にでも見つかるかもしれない。
「ママは…お洋服を作るお仕事してましゅ。パパはシュッチョウチュウでし」
「デザイナーなの?かっこいいね。もしかして今着てる服も?」
メイは何故か目に見えるほど顎に皺をよせた。まずい、明らかに不機嫌だ。
「ママはあたしの好きなものなんて知らないんでしゅ。ピンクのリボンなんて、あたちのしゅみじゃないでしゅ」
「じゃあはずせばいいのに」
「…はずしたら、ママがわたちを見付けられなくなりましゅ」
それっきりメイは黙り込んでしまった。


「着きまちた」
次にメイの元気な声が聞こえたのは、伊勢原駅の構内だった。
「ここって―」
「電車で来たんでしゅよ」
小さい子供だけというのが目立ったのか、車掌さんらしき服装の人が、メイに近づいてきた。
「おじょうちゃん、親の方は?」
「一緒でちた。メイはマイゴでしゅ」
遠出するのに列車は必要で、みんなと乗るのなんて珍しくない。だけど僕一人で来るのは久しぶりだった。旅行会社のパンフレットとか、民宿一泊七千円だとかの広告が通路に置かれている。出かける人の浮き立った表情が、やけに目に鮮やかだった。どこに行くのだろう。行った人は戻ってくるのかな。昔のことを覚えてるってことに、僕の胸は少しだけ痛んだ。

ママは華やかな色が好きだった。つばの広い白の帽子と、薄紅色の長いスカート。大きめのバックを持つ手からは、洋梨の甘い香りがしてた。発車時刻を報せるベルが鳴ると、僕の額に自分のをあてがった。柔らかいキスを耳に降らせて言ったんだ。「絶対に帰ってくるわ、いい子にして待っていて」と。
大勢が乗り降りしていても、僕はママを見付けられる自信があった。ドアが閉まってママは座席に移動した。流れていく車両の中で、微笑んでいた。


(きっとよ、きっと)
(帰ってくるわ―)


どうして僕は、自分なら何もかも分かると思ったのだろう。僕の前に留まり続けたラズに、僕は文字通り噛みついた。全部誤魔化してしまいたかったのだ。「それ」さえ口にしなければいい、約束があるのだと。本当はすっかり全部気付いてたのに。

「…くりぼう!」
駅の中で叫ぶ馬鹿は、一体誰だろう。のろまな僕の態度が気にくわなかったらしく、頭に固い物が飛んできた。
「あいった」
踵のあたりに落ちたそれは、薄紙に包まれた小さなキャラメルだった。
「一体どこまで来てんだよ。ていうか、やっぱり迷っただろうか」
不機嫌な声。透だ。
「あー…」
「あーじゃねぇよ全く」
珍しく本気で怒っている。まぁ、散々注意してこれだから、僕の方も言い訳が思いつかない。ピンクのリボンが目に映って、咄嗟に口走った。
「迷子!」
「そうだな、その通りだ」
指をぼきぼき鳴らす透に殴られる前に、僕は首を振ってメイを指さした。
「違うって。この子が迷子で、僕、ここまで付き添ってあげだんた」
メイは車掌さんから飴なんて貰っている。(頼むからうんと言え)という念を送ったつもりだったけど、メイの大きな目は僕のずっと後ろを見て瞬きした。「あれママでし」と言うのを聞いた。
「メイ!」
肩までの髪を振り乱した女の人が、地下街に降りる階段から駆け上がってきた。そのまま緑の窓口の自動ドアに激突しそうな勢いだ。丸っこい体をすくうように抱き上げて、女の人はメイの背中を何度もさすりあげた。肩に掛けたポーチの口が開きっ放しなのにも気付いてない。
「お母さん?」
透が僕の肩を小突く。
「うん、もう大丈夫みたい」
メイのお母さんは、メイが一人で来たと思ってる。「えらかったわね」とほめながら、子供をあやすのに一生懸命だ。
「行こう透」
「でも」
「いいんだってば」
僕らは駅を出た。商店が並ぶ方角から、いつもの顔をしたラズが歩いてくる。なんで表情つくんないのって、昔なら聞いたかもしれない。でも今は分かる。透みたく怒ればいいのに、心配ばかりしてるんだ。ぼふっとラズのお腹のあたりに頭を預けて、ごめんなさいと謝った。
「おみくじは」
言われるまで忘れてた。両の手の平を開くと何もない。
「どっかで落としたみたい」
「そうか―」
猫にするように僕の頭を撫でて、ラズは「帰りに買い物してくから」と言った。
「ラズ」
電車がまた走っていく。
―4番ホームから新宿行きが発車します―お乗りの方はお急ぎ下さい―
「また山梨行こうよ。ブドウ狩りしたいんだ」
ラズは一瞬だけ目の縁を広げた。濃い灰色の瞳が僕を見下ろす。ほんと心配性だね。
「大丈夫、もう怖くない」
「そう、か」
「じゃあ帰ろーぜ。フレイもそろそろ機嫌なおっただろうし」
透が言ったその時、ちょっとだけラズが難しい顔をした気がしたんだけど、まぁいっか。太陽はまだ僕らの上で光っていた。



「…38度、5分」
透が体温計の目盛りを読んだ。
「あーそんなに?」
「そんなに、じゃないよ」
どうやら、フレイは風邪をひいていたらしい。始めからそう言えばいいのに、みんなが帰るまでには絶好調になっているはずだったと、意味の分からない言い訳をした。
「だから外出るときにはコートを羽織れと言ったんだ」
ラズは台所でシャカシャカと、買ってきた林檎をすり下ろしている。
「うーん、あれくらい平気だと思ったんだけどなぁ。こっちの気候にカスタマイズされてきてんのかな」
へら〜っと笑う顔は、そのまま溶けていきそうなくらい赤い。フレイが寝てる布団の横に座って、ポケットに手をつっこんだら、何かが指に触れる感触がした。取り出してみたら、それはフレイのためにとってきたもう一つのおみくじだった。風邪のお見舞いがもしかしたら大凶なんて、洒落にもならない。やっぱり渡すのやめた、と思ったのに。
「それ、おみくじ?」
気付かれてしまった。
「違うよ、なんでもない」
「去年僕も引いたんだよ。いらないなら頂戴」
病人のくせに手が早いんだから。ほら、と指の間に挟んで見せてくれた紙には、筆で「大吉」と一書きしてあった。ふーん、なんか、うれしいや。にやけた気持ちが顔にでてしまったのか、透に頬をつねられた。
「いひゃい、やうぇおっへ(やめろって)!」
「ありがとね」
フレイが腕を伸ばして、僕の頭を撫でた。悪い気はしないけど、なんでみんな頭を撫でるのかな。僕はみんなが思ってるよりも大人なんだぞと、心の中で思った。


*   *   *


『…ええ、ええ、そうなの。私が目を離した間にいなくなってしまって。降りた駅で見付けた時は、本当に安心したわ。変なことになってなかったかって…?いいえ、心配ない。それは大丈夫。でも芽依を駅まで連れてきてくれた子供がいたの。あとで車掌から聞いたものだから、ありがとうも言えなかったのだけど。ふわふわした髪の子だって芽依は言ってたわ。大判焼きをくれたんだって。かわいらしい話でしょう?会ってお礼がしたいけど無理ね、顔も分からないのだもの…あぁごめんなさい、仕事中に。ええと、そう、今度の依頼の件、そちらのほうで生地をお願いしたいの。ノーサンプトンシャーにいい工場があると聞いたわ。ドルトン社はオートクチュールしか扱わなかったのに、アパレルにも手を出すそうね。若者向けかしら。現地…いえ、ロンドンにオフィスがあるならそこで確認して。…子供?…違うわ、芽依ぐらいの小さな子よ。髪だって茶色。おかしなこと聞くのね、あなた』