ままごとです。-5.1-


 自分がチビだということは分かってる。踵の高い靴を履いて身長をごまかしたところで、前のめりに鼻をぶつけることになることもすでに経験済みだ。そういうのは自然に任せるものだよと、べそをかく僕にフレイはそう言った。
 だけど、背丈というものを今日ほど憎らしく思った日はない。そもそも何故こんなことになってしまったのだろう。「人がゴミのようだ」という名セリフを今の状況に認めながら、僕はその意味を理解した。


「きれいな人がたくさんいるよ」
雑煮にぱくついていた朝方。僕は箸に引っかけたもちを伸ばすだけ伸ばして限界に挑戦していた。だけど透が横からそれをぶっちり千切ってしまったので、僕は心の底から頭にきて叫んだんだ。
「なぁにするんだよ!今の新記録かもしれなかったんだぞ!」
「あぁ?ギネスに挑戦でもするつもりか?自分の身長よりも伸びましたーてか。お前じゃ説得力ないぞ」
そこから先は、正月なんかじゃなけりゃいつも通りになるはずだった。ぎっと僕がにらみ、透が拳を突き出す。
「分かってるよね」
分かってる分かってる。今度こそ勝つのは僕だ。
「…げ」
なに蛙が潰れるような声出してるんだよ、透。そう思った僕は、まだまだ修行が足りなかった。
「もう一回掃除したい?」
ふんわりした笑顔と、ドスの利いた声。やばいと思った時はもう遅く。
「壁のらくがきとか痛んだ床だとか、きれいにするのに、そりゃあもうすごく時間かかったんだよ。喧嘩の途中で破いちゃったカレンダーはもう新しくなるからいいとして、丸椅子の足が折れたときにはどうしようか考えたよ。ははは。まぁ正座して地べたで食べればいいだけなんだけどね、あーあと」
「フレイ…もういい、ごめん」
あっさりと降参した透は僕の頭に手をかけて、テーブルにおでこをぐりぐりさせた。
「痛い、痛いって!」
「男は黙って謝るもんだ」
何でそれを僕にさせるんだよ。フレイは「よろしい」と微笑み、声音を変えた。
「それでさっきの話だけど、みんなお参り行ってきなよ」
「お参り〜?」
すぐさま苦い顔をした透に、フレイは「そう」と頷く。
「僕やラズなんかはこういう習慣なかったもんだから、珍しくて毎年遊びにいってたんだけど、女の子がみんなきれいなんだよー。着物はいいねー華やかで」
僕は「おまいり」がなんなのかよく分からないので、とにかく女の子がいっぱいいる場所なんだなと思う。
「それで?」
無感動に応える透。フレイは僕らの襟首をつかんでコートを肩に引っかけ、問答無用で玄関に放り出した。
「いいから行きなさい。今から行きなさい。なんならかわいい子をゲットしてきなさい」
「はあ?」
「あ、君も一緒にね。攫われたら困るから」
ぽいっと、粗大ゴミのようにラズも外に出されてしまった。
「おい」
「じゃあね」
ばたんと戸が閉まってしまった。
「…ラズ、フレイ機嫌悪いの?」
僕が見上げて言うと、ラズは火がついてない煙草を噛んだ。「いや、あれはたぶん」とこぼすなり、頭をふって歩き出す。透がそれに続き、僕もあきらめることにした。



 それはなんとか万宮とかいうらしいけど、僕の頭ではマングースが歯を鳴らしていた。お寺の中は広くて、どこを見ても人、人、人。なんでこんなにいるのとげんなりするぐらいだ。フレイが言ったとおり着飾った着物の人はうじゃうじゃしてるけど、きれいとか思う以前に、背中を押されて満足に見ることもできやしない。
「はぐれるなよ」
と透に注意され、なんとなくムカつく。いつもいつもガバレンジャーの時みたいに思わないで欲しい。
「分かってらぁ」
ふんと顎をそらしたら、頬を指で押されて空気がぷぅっと出てしまった。
「ふくれんなよ、チビ助。ただでさえ顔丸いんだから、今度は垂れるぞ」
チビ。顔丸。おたんこなす。何か多い気もするけど、黙っていれば好き勝手なことを言いやがって。ムキィッと怒ろうとしたが、こんなに混んでちゃ腕も振り上げられない。
「ほら行くぞ」
透は僕の表情を無視して、コートの裾をひっぱり、じゃかじゃか歩いていく。たぶんラズが早いのだ。きっと本人は意識してないのだろうけど、足の長さがまるで違う。一歩でこっちは二歩半だ。一体何を食べたらあんなに大きくなれるのだろう。
「とおるー、あれなに」
人混みをかき分けているうちに、変なものを見付けた。枝にいっぱい紙切れが結んである。夜に見たら、呪いの木みたいでちょっと怖い。
「身代わり」
「ふえ?」
意味が分からなくて、自分でも間抜けな声を出した。
「おみくじでよくない結果が出たら、ああやってくくりつけて、なかったことにすんだよ。入れる方も入れる方だけどさ、年始から大凶なんて縁起でもねぇだろが」
「ふーん」
「サイアク」とか「げげっ」とかいう悲鳴が聞こえるのはそのせいか。僕も変なのが出てしまったら、そうしよう。

ラズは一人だけひょこっと頭が突き出てるから分かりやすい。もう賽銭箱の近くまで行って、僕らの方に手招きしてる。いつも思うのだけど、箱に千円札を見るなんてほとんどない。神頼みなんてそんなもんなんだけど。
「お前いくら入れんだ」
「十円」
「やすっ」
何とでも言え。僕は捨てるほどの金なんて持ってないんだ。
ちゃりーんと軽い音を立てて、僕の十円は他のに混じって分からなくなった。適当に手を合わせて、神様仏様と祈る。今年こそガバレンジャーの変身腕時計手に入りますように。
賽銭箱の隣にはおみくじ箱があって、順番にえいやっと引いた。
「あ、ラッキー。大吉だ俺。ラズは?」
「…吉、だな」
お前は?と透は言ったに違いないのだけど、僕はそれどころではなかった。
「―やばい」
「凶?」
「…大凶」
予想通り透がげらげら笑い出す。ラズなんて痛ましいものを見る目で僕と自分の紙を交互に見比べるもんだから、余計ショックが増す。凶と吉は紙一重だけど、大凶じゃ差がありすぎるよ。う〜と、僕は無意識に唸っていた。
「むすんでくる」
その時の僕の顔は、よほど悲惨な顔をしてたのかもしれない。優しいラズは自分のと交換するかと言ったけど、それじゃ意味ないでしょ。箱にもう一度手をつっこんで紙をとり、さっきの木がどこにあるか探す。
「やり直したんなら、別にいいんじゃねぇの」
「これは違うの!」
あっかんべーをして、僕は走りだした。後ろで何か聞こえたけど、知らない振りした。


―そして今。人の背中が壁になった迷路を、ぐるりとまわってみたけど、僕はどうしても賽銭箱に辿り着けなかった。要するに前が見えないのだ。背が低すぎて。せいぜい腰帯ぐらい見上げるのが精一杯で、香水の匂いががきついおばちゃんのお尻にばっかりバウンドしまくっている。どいてと言う僕の声なんて、全然届きやしないし。溜息ついて、僕は自分の手をみる。まだしっかりと、大凶の紙を握っていた。今思えば、透の叫んだあれは「お前じゃ枝に届かない」だったんだろう。自分がこんなに馬鹿だとは、木の下でジャンプするまで知らなかった。「ぼうや、それ結びたいのかい」と、困ってる僕にサングラスのおじさんが声をかけてきた。きっと親切で言ってくれたに違いないのだろうけど、その人の顔が、何となく怖い気がしてしまって、ぶんぶん首を振って人混みの中に逃げてしまった。はっと気がついたら、僕は自分でもよく分からない場所にいた。どういうわけか広い池のある公園にでてしまい、ベンチに腰掛けてからもう十五分たっている。
「どーしよー…」
情けなさ半分、後で叱られることの怖さ半分。ぶうたれてもどうしようもないのだけど、落ち込むよ。
池にはカルガモの親子が泳いでいた。冬があまり寒くならなかったから、飛ぶのもめんどうだったのかな。肉付きのいいカモにちっちゃな子供ががあがあ鳴いてついていく様子なんて、まるでラズと僕みたいだ。僕はつい笑い声を漏らした。だけどその時、心配そうに後ろに首を曲げた親鳥の羽を、小ガモの一匹がつっついた。

(何にも知らないくせに!)

自分の声が聞こえたようで、僕はちょっと堅くなった。苦い感じが心臓をどくんと打つ。ずっと待ってた人が来ない、あの気持ち。寒くなんてないのに、体が震えて止まらなくなる予感が、胸に切り込んでくる。

(絶対帰ってくるわ)

僕は目をぎゅっと瞑った。違うんだよ、今聞きたいのはその声じゃない。念仏のようにみんなの名前を呼んだ。透のバカ、アホ、さっさと僕を見付けろよ!
唐突に、僕の上に誰かの陰が被さった。
「…ラズ!?」
心に光が差しこんで、僕は頭を上げた…んだけど。
「きゃあっ」
きゃあ?
目の前にいたのは、僕より小さい女の子だった。頭にピンクのリボンをつけて、ウールのマフラーを顔が埋まるくらい巻いている。
「君…何?」
僕がやっとそう言うと、その子は線が切れたように、みるみる涙目になった。これは、もしや、もしかして。
「あたちのママ、知りましぇんか」
思わず逃げようとした僕の服を捕まえて、その子は鼻をずずっと啜った。