ままごとです。-4-


「それじゃあ、かんぱーい」
間延びしたフレイの声と共に、五つのグラスがテーブルの中央でぶつかった。中身はワイン、ビール、ジュースなど、年齢と好みに応じて異なっている。ビールを手にしているのは香鳴で、未成年はだめだと言って、酒の瓶に手を伸ばしたくりぼうの手を叩く。
涼しい顔で飲んでいるラズとフレイのグラスの中身は赤い液体で、指導にうるさい香鳴が、それを見落とすわけはなかった。
「こら、お前達、いやお前。未成年のくせして何飲んでやがる」
指さされたのはフレイの方だった。
「えーだって、僕の国じゃこんなの当たり前だし」
「日本じゃ酒は二十歳になってからってのが世の習わしなんだよ。おめぇはできあがりだからいいとして、下の二人が同じような不良になったらどうしてくれる」
「何かひどい言われようだなぁ」
フレイがあははーと笑う横で、透は「俺はこんなふうにはならないよ」と呟いた。
五人が囲んでいるテーブルには、フレイの腕と技をかけた料理が並んでいる。紫タマネギをスライスしたサラダと、エビのフライ。足をアルミでくるんでリボンをかけた鳥の足。主食にはコーンブレッドと白ご飯があり、野菜をたっぷり入れて煮込んだクリームシチューが皿で湯気をあげている。さらには今日の主役といってよい、全員一致の賛成挙手により選ばれたホール型のショートケーキが、中央のステージをがっしり占めている。小さめのテーブルに載りきれないほどの品数があるのは、今日が特別な日だからだ。
「俺は神様なんて信じちゃいないけどよー、おいしい物が食べれるならめでたいこった」
罰当たりな事を口にして、エビをつまみに食しながら、香鳴はぐいっとグラスをあおった。仕事での疲れを癒すかのようなピッチの早さだ。
「おじさん、ほどほどにしといた方が―」
ラズが窘めるが、いいのいいのと手を振るばかり。先ほど言った言葉は何だったのか。
台所は隣室とガラス戸一枚で繋がっており、開かれた空間の先に、綿雪をかけたツリーが飾られている。英国の実家では毎年当たり前のように庭の木が使われており、庭師がいつも悪戦苦闘してデコレーションしていたのを思い出す。今年見るのは随分小さめのツリーだ。しかしここの雰囲気に合っていて、かわいらしいと思う。顔がほころぶのをラズは抑え、視線を別に移したが、目尻から消えるそれに妙な引っかかりを覚えた―何だろう。
「じゃー、ここで一発ゲームしまーす」
原因が形となって頭に浮かぶ前に、またしてもフレイの伸びた声がそれを遮った。おーっと、いやにノリのいい連中の歓声と拍手が響く。
「みんなも知ってる王様ゲームでーす。知ってると思うけどルールは簡単。王冠のマークがついた紙を引いた人が、他の人に命令できます。それじゃ、いってみよー」
どこで買ったのかおもちゃのマイクを手にしたフレイは、ティッシュ箱をテーブルに置いた。

ジャンケンの結果、フレイ、透、香鳴、くりぼう、ラズの順番で取ることになった。ぱぱっと取り出して、紙を開く。にやりと笑ったのはフレイだった。
「僕、王様ね」
生まれながらの性質としか思えない負のオーラを発しながら、顔は天使のようだから始末が悪い。ふふふと不穏な笑いを漏らし、音が鳴りそうなくらい強く人差し指を突きつける。
「3番さん、初恋の人は誰ですかー?答えてください」
3番て―。他の四人の視線が彷徨う。
「…俺?」
蒼白、と形容したいところだが、すでに本人は酔いがまわってきており、顔は茹でダコのようになっていた。
「香鳴さん、ほんとに僕と相性悪いね」
たばかったなと香鳴は喚いたが、王様の命令は絶対である。しぶしぶと、あーとかうーとか前置きを置いて喋り出す。
「うーん、そうだなぁ。小学生のガキの時、近所の新聞屋の娘さんがきれいな人でよぉ。俺は絶対大きくなったらあの人と結婚するって決めてたんだ」
「へー」
「なのに、娘さんは町の動産の息子に嫁いじまった。もう少し待ってくれればこんないい男が現れたってのに…あぁもったいない」
「その人はそれで正解だったと思うよ」
身も蓋もない感想をさらりと述べて、フレイは紙を回収してまわる。いつも思うことだが、フレイは香鳴に対して何故か優勢を誇っている。扶養家族の立場と大差ないというのに、態度が大きいというか何というか、誰に対してもマイペースを崩さない。本人の性格と言ってしまえばそれまでだが。
二度目に王冠をあてたのは透だった。遊び事に疎い透は、耳を掻いて暫く考え込んでから言った。
「じゃ、4番が2番の困ることをする」
「僕が!」
「俺に!」
両手を挙げたくりぼうと、げげっと身をひいた香鳴が叫ぶのは同時だった。
「頼む、プロレス技はもうやめてくれ」
「いいよー」
あっさりとくりぼうは承諾して、にかっと天然素材の愛らしい笑みを満面に浮かべた。「K1見て覚えた技がたくさんあるから、今度試させてね」
ご愁傷様ですと、宣告を間接的に下した透が手をあてた。来週か再来週か、いずれにしても香鳴の大腿骨が悲鳴をあげるのは必至である。
「もう来るのよそうかな…」
遠い目をして香鳴は呟いた。



 時計の針が十時を指す頃、隣室の絨毯の上で毛布を被った透とくりぼうが眠りについた。小さめの電気ヒーターでも、部屋自体がそれほど広くないため暖かい。飲み食い、騒ぎ遊ぶのは香鳴にとっても久しぶりだった。おそらく先に寝入った二人もそうだろう。起きているときにはちっとも可愛げのない鬼っ子も、寝息を立てる様子はあどけなく、ただの子供にふさわしい表情をしている。
ラズがコーヒーのカップを手にこちらにやってくるところだった。そちらに行くと小声で言って、香鳴は静かに布団の傍を立った。
「フレイはどうした」
台所の片づけは済んだらしく、水切りに洗い終わった皿がいくつも逆さに重ねられていた。
「近くのコンビニに行っている。洗剤をきらしたと言っていた」
そんなもの売っているのだろうか。疑問に思いはしたものの何かに思い当たり、香鳴はまあいいと言って椅子に座った。ラズは部屋を区切るガラス戸と冷蔵庫の間にできる角に、背をもたれている。長い沈黙があった。
「あの子はいつか戻ってくる」
痺れをきらしたかのように、香鳴りが口を開いた。ラズの表情は変わらなかった。
「姉さんが電話で言った言葉だ。今は自分から離れても、いつかお前は戻ってくる―あんなことをしておいてよく言える」
私の子、愛しい子。幼い頃聞いたそれは歌であり、あの場所にいるための唯一のまじないだった。
「母さんは、今もあの家に」
ああそうだと、香鳴は苦いコーヒーを啜る。
「俺の知るメイドの話では、二年ほど前に病棟から出て屋敷で療養してるらしい。しかも医者のお墨付き。どうかしてるぜ、全く」
香鳴がラズを日本に連れてきたのは、もう何年も昔になる。引き離されるとき、母は確かに泣いていた。それなのに、ラズはその顔が思い出せない。自分を生みし人の事を忘れたのではない。その人の事を思うとき、脳裏に蘇るのは別の表情。別の声。最後に目に焼き付けた母の顔は、微笑んだまま止まっている。
「それはそうと」
香鳴は何か言いかけて、腕時計に目を下ろした。舌打ちして席を立ち、壁にかかったコートに手をつけた。
「いけねぇ、今日はこれで退散するよ」
「まだ仕事残ってたのか」
ラズが尋ねると、いやそうじゃないと香鳴は首を振った。
「子供はもう寝る時間だからさ」
一瞬言葉の意味を捉えあぐねてラズは反応し損ねたが、それが四人まとめて言われていると気付いて苦笑する。香鳴の中では、自分は何年たっても、あの日手を引いた子供のままなのだ。もうそれなりの年になっているのだからと言ったところで、坊のくせにと額を弾かれるだけだろう。例えばくりぼうか透がもう十年もして、「僕は(俺は)もう一人前だ」と宣言したならどうか。ラズにしたって、きっと同じことを思うに違いない。何言ってると笑うに決まっている。
玄関のドアを引いた香鳴が、喉をひゅっと鳴らした。
「よぉ、降ってきたな」
長方形の空間が切り取られた先に、白い物が落ちている。夜間の電灯のせいで、雪は今朝見たときより明るく、銀のような輝きを散らしていた。皮の手袋と帽子を身につけて、香鳴はじゃあなと出ていった。音階をなぞるだけのクリスマスソングを歌う香鳴の声が、通り過ぎた窓の外からかすかに聞こえた。
身を起こし、ラズは隣室のヒーターを止めた。ちゃんと暖まって寝ただろうか。覗き込むと、くりぼうが「もう食べられない」とむにゃむにゃ口を動かした。透は規則正しい寝息を立て、表情も安らかだった。黒のトレンチに腕を通し、無造作に置かれた灰色のダッフルコートを拾う。鍵を閉めてラズは外に出た。



 昼間くりぼうと透がよく遊ぶ公園に彼はいた。何千何億という水の結晶を地上に送りつける青い闇を、ただ見つめていた。思った通り、室内で着ていたフード付きのトレーナー一枚だ。凍える心配はないと思ったが、それでも見た目に肌寒い。
「フレイ」
呼ぶと、彼はこちらに頭を向けた。夜の空より薄い青がラズを見る。風邪を引くと言いたいところだが、生憎その言葉はフレイに対し効果薄である。こんな夜よりも冷たい、零下の温度に彼は慣れているのだから。本当はコートを買う必要なんてなかったのかもしれない。けれど彼は、他のみんなと同じように、あれやこれやと試着してまわっていた。

必要か必要でないか。考えることをやめてラズはフレイにコートを投げた。少しでも可能性があるのなら、予防に越したことはない。
「また降ってきたね」
フレイはもう一度上を見上げる。鼻にかかる粉雪を払おうともせず、むしろそれを喜ぶように薄く目を細めた。
「国が解体したその日も、こんな風に雪が降っていた。めずらしいことじゃないけど、その時はクリスマスとは違う出来事にみんな興奮してた。これで何かが変わる、そう期待して」
今はテレビ越しにしか映らない。不安定な情勢、貧しい村と町を抱えたそこが、彼の国だ。やがて、フレイは「そうだ」と言って、手持ちのポリ袋を開けた。
「じゃーん」
取り出されたのは、菓子がたくさん詰め込まれた赤いブーツだった。五人分、ちゃんとある。
「お前…、そんなの買いに行ってたのか」
「だって、見てる前じゃ買えないでしょ。こういうのは驚いて楽しむもんだよ。ツリーはあるのにあるべきものがない。嫌なんだ、そういうの」
そう言うと、フレイはブーツの一つから飴を取り出した。
「メリークリスマス」
手渡された飴を口に放り込むと、甘い香りが鼻をついた。あぁ、そうか。あの時の寂しさは、これがないためだった。二人して並びながら、溶けるまでの間雪を眺める。数えることさえ叶わない粒はもとは一つのはずで、遠く知らない場所にさえ降り続けている。
「ラズ」
フレイが言った。
「僕は僕の意思でここにいる―忘れないで」
続く言葉はない。「そうか」とラズは呟くだけだった。他の二人もそうであってほしい。口にはしない、それは願いだった。

傷だらけの我が子を癒すように、雪は降り続けた。


*   *   *


 日が差す頃、早起きしたくりぼうはフェルト生地の靴をツリーの下に見つけ、大はしゃぎしていた。うれしいことは口にしたくてたまらないらしく、「僕の!僕のだよ!」と家中に見せて歩いている。
「よかったね」
微笑むフレイに、くりぼうは「みんなの分あるんだよー」と言って指さした。
住人の数だけある包みが、ブーツの横に並んでいた。
「僕知ってるよ。サンタさんが持ってきてくれたんだ。ちょこっと目を開けたとき、誰かいたもの」
「へ、へぇ…」
ぎこちない笑みを作ったフレイに透の追い打ちがかかる。
「きっと茶髪で年寄りのサンタだよ」
どんなサンタだ。

彼らがそんな話をしている頃、ラズに送り届けられたブーツの菓子を食べながらくしゃみした男がいたことは、言うまでもない。