ままごとです。         -まつりの夜-


ぱんっ!

少年がいつあの『特賞』と札が貼られた景品をうち倒すか、見物人は固唾を飲んで見守った。十四発中七発。実に五割の確率で当てるのだから、スナイパーの称号を獲得するまでは時間の問題、いや、球数の問題である。
第三戦・四発目は『特賞』の右に逸れて、キャラメル箱に当たった。
「なぁおっさん、あれ本当中入ってるんだろうな」
「なんでぇそりゃ!この方十年、空箱披露したことなんて一度もないわい!」
頭に鉢巻巻いた屋台のオヤジは、胸を張って断言した。さっきから景品を攫われる一方で、威張れる状態じゃ全然ないのだが。
透は銃を構え直し、もうちょっとなんだけどなぁ、なんてぼやいている。
透の腕は悪くない。ただ、狙う位置が問題だ。景品を並べた段の数は三つある。屋台の親父のお墨付きの品が「私を撃って」とばかりに身を晒しているのは、透の身長の二倍ぐらいある一番上の段。しかもこいつ、やたら細身で的が狭い。こつこつ別の景品を倒していったから、手元に何も残らないのではないけれど、透は意外にはまる達だった。
「っちぇー、あと一発かよ。おじさん、ハンデ」
「若いもんが何言っとるか。ほれ、撃てるものなら撃たんかい、ほれほれ」
挑発する口振りに、(当たるわけない)と明らかにタカをくくっているのが分かる。位置が高いのとは別に、少年にとって悪い要素がもう一つあるのを、このオヤジはちゃんとお見通しだった。それは、ずばり銃の重さ。斜めに構えて銃身がぶれないようにするには、透は小柄すぎるのだ。
挑発に負けじと、透は狙いすぎて三白眼気味になった目で、ギッと睨み返した。
「あー、やる!やってやるから見てろよオヤジ!あとで返せっても返さないからなぁ!!」
「おお、望むところだあ!」
狙いに狙いを定めて渾身の一発を放つ―弾丸が発射されるより短い、引き金にかけた指に力が込められるその一瞬、無謀だ、無茶だ、という野次馬達の声に透の集中が乱された。駄目だ、外れる!

「貸して」

小石でも持つみたいに銃が取り上げられた。軽々と手に納め、そして、

ぱんっ!!!


かたかた。ことん。ぱたり。

「… … … …」
水を打ったような静けさが、屋台とそれを囲む場に降りた。これは、そうだ、間違いなく。我返った一人が一番乗りとばかりに詠み上げた。

「あた〜〜、あた〜〜〜〜り〜〜〜〜〜」


(すげぇな、おい!)
(撃たれたんだって、あのボロ箱が)
(ガイジンさんかい?)
(こ、これでも食ってけぇ!!)


「ラ、ラズ…」
威勢のいい玄人御仁方に囲まれるラズの図は、ある種貴重だった。外人じゃないと教えたところで骨折りするだけだろう。三六〇度、どこからどう見ても、彼は外国人と認められるだけに値する容姿なのだから。
ラズは右手の銃を透に戻し、まだ信じられないといった顔でぽかんとしている鉢巻じいさんに手を差し出した。
「それをくれないだろうか」
「ほ、ほわっと!?」
いやいや、日本語喋ってるから。景品のスチール缶を棚から下ろしながら、おじさんは、ないすつみーちゅーだのかむあげいんだの、使えるだけの英語を話して寄越した。気さくなんだか何なんだか。
「横から邪魔した。すまない」
缶を渡されかけた透は、ぶんぶん激しく首を振った。恐ろしい物を見た、という目をしている。
「ラズ、…まさか軍隊上がりとかじゃぁないよな」
「こちらに来たのは十二の時だから無理だ。あの台は近かったし、撃ちやすかった」
「…そうか。なら安心した。俺じゃ当たらなかったと思うし、欲しがったのはこいつだったんだよ。なぁ、くりぼう」
「うん!」
「何が入ってるか分からないが…振ると音がする」
「それで『特賞』なんて、騙された気もするけどな」
「いいの!特賞だもん!!」
満面に笑みを浮かべてラズから缶を受け取り、
「ありがとう、ラズ」
「―どういたしまして」
大事に胸に抱え、くりぼうは「かき氷買ってくるねーー」と、下駄をからんころんさせて走っていった。黄色の下地に朝顔模様の浴衣の裾が、賑わしい人混みをするりと抜ける。ここは『とうぞう君』でおなじみのショッピングビルを面した駅前通り。

どこからか低い声が、聞き逃せない力強さを持って鳴り響いた。
始まったな、と透が首を伸ばした。
災事の末を唱い聞かす法師のような語り口、一時として平淡な調子を保つことなく、笛と太鼓に綴る音(ね)を速めていく。獅子を操るのは三人。新年行事につきものの緑の布と赤い面ではなく、肢体と顔を覆う髪は白一色。妓師が手に刀を模し、獅子と舞う。語らいながら舞う。獅子は妓師のみぞおちをかすめ、噛みつぶさんと頭を翻す。しかし獅子の眼前には、能面かぶる妓師、すなわち童子が一人。えいやと下ろす右の手に、食らい付いて倒れる物の怪の、灯籠に照らされた鬣の美しい事この上なく。それ一斉に、と雨あられの拍手が湧き起こった。

「これ見て、やっと夏って感じがするんだよなー」
透は慣れた様子の感想を述べながら、それでも高揚していると分かる顔付きだ。
「フレイはどこ行ったんだ」
「あぁ、あいつは―」
思案に暮れた目で、ラズは屋台骨の立ち並んだ遠くを見る。
「確か、金魚がどうのこうの、と。あまりに集中しているから置いてきた」
「…うちに水槽なんてないぞ?」
「問題ない。十匹釣ると、カメと交換出来るらしい」
「…」
それでも水槽は必要なんじゃないだろうか。
透はラムネの瓶を買い、脇道の壁に背を付いた。氷水に浸かっていたから、炭酸の状態は良好。思った通り、ビー玉を沈めた途端、泡が手を濡らして溢れ出た。髪をゴムで一まとめにして立つラズを、薄暗がりに惑わされて金髪の美女と見間違えるのは何も年より連中だけでなく、高校生だと思わしきグループが、通りすがりに隣の肩をバシバシ叩いて振り返っていく。普段着のラズでこれだから、イベント好きな浴衣着のもう片方はどうなっていることやら。
「なぁ。俺、思い出したことあるよ」
喉を潤した透が言った。
「俺があの家に転がり込んだ時、ハンバーグだったんだ」
「―夕食が、か?」
「もう腹減ってて、雨降るし、気分的にもどうでもよくなっててさぁ。怪しい外国人の作るもんだって出されりゃ食べる、みたいな」
怪しい外国人。フレイの事か。
「その後一週間は食い倒れ万歳だったぜ。それ今度はオムライス、スパゲティー、おにぎりだの茹でジャガ芋だの。なんでそんな食料確保してんのって不思議なくらい。お前は途中で逃げやがったけどな」
ちろりと見上げると、ラズは目を逸らしている。心当たりはあるらしい。

"―いっぱい食べてね。ラズ、あんまり食べないから、料理のしがいがないんだよ。おいしいかい?"

持ってろと言われた時から、ずっとずっと考えていた。何度も聞こうとして、聞けなくて。だけどいくら考えても、「今日は会心の出来だ」って、パンケーキにマーガリン塗る姿と、誰かを残酷に傷つけたのかもしれなかったその二つが、どうしても一つに合わさらない。林檎の皮を剥きながら"おかえり"って笑う、透はそれしか知らない。
上手く言えなくなるごとに、瓶を一口飲んだ。

うん、だから。

「フレイはそういう奴だから、待とうと思うんだ。自分で話してくれるまで。そしたら俺、あのナイフ返すよ」
きっとラズは知ってるのだろう。フレイが何故あんな物を持っていたのかも全部。だからこそ透は聞き返さない。
ラズは少し押し黙ったが、これだけは違わないと目が言っていた。
「あいつは誰も刺してない」
「うん、信じるよ」
透は最後の何口かを一気に流し込み、手の甲で口を拭った。
「おしっ。暗い話はここまで!…でも、一つ気になる事あんだよな。くりぼうなんだけど」
透が瓶を振ると、ビー玉があたって涼しい音が鳴る。
「あいつもナイフ見てただろう。けど、それには一言も触れないんだよな。気にしてないってならいいんだけど。… …ちょっと待った。くりぼうのやつ、遅過ぎやしないか」
「かき氷屋とは何処だ」
「… … …」
「… … …」
ヒヤリと冷たいものが透の背を走った。ラズの目の色が難しげに変わっていく。
まさか、まさか、まさか。








ここはどこ?

ずうっと前に同じことやらかしたような気がする。いや、気じゃない。確かにやらかした。
苺シロップかけてもらったのを受け取って、スプーン口にくわえた時に太鼓の音がした。もっと近くで見たくて、ちょこっと人混みを掻き分けた。それだけなのに!
テレビで聞いた事あるぞ。でじゃ・う"とかいうやつだ。難しいのよく覚えてたな。
「て、ちがーーーーう!!」
くりぼうは立ちすくんだその場で叫んだ。こんなの二度も三度も繰り返してどうすんだよ僕のアホンダラ!
さっきまで拍手して喜んでいた太鼓の音が、今は不安の根を胸に張り巡らせていく。二度ある事は三度ある。でも、三度目も見つけてくれるとは限らない。しかも夜に。
「とーるー、ふれいー?」
呼ぶ間もかき氷は溶けていく。こんもりとした山だったのに、ぺしゃりと頭が潰れていった。見てると泣きたくなるから、もっと大きい声を出して呼んだ。
「ラズーーーーー?」
こだまもしない。笛と太鼓、獅子と妓師におくられる拍手に、振り絞った声の全部が掻き消された。
祭通りは白獅子舞が演じられている広場を中心に、東西南北十字に渡っている。ラズと透の姿が見えないのであれば、どこか別の道に紛れてしまったのか。考え込めば考え込むほど位置が分からなくなる。
「右でしょ、そしたらまっすぐ…えぇと」
何だろう、頭の中が滅茶苦茶だ。太鼓と笛の音と、行ったり来たりする人の会話。まぜこぜになって目がチカチカする。
くらり、屋台の灯が反転した気がした。

「―危ないよ」
誰かが背中を支えてくれた。怖々と振り返ると、白髪混じりの中背のおじいさんがいた。
「あ… …」
「小さい子が一人で歩いたらいかんよ―最近は物騒だから」
おじいさんは手を離す。
「…道を間違えちゃって…」
「何か目印は覚えてないのかい」
「射撃があって、隣がジュースやさん、舞の唄がちょっと聞こえるぐらい…だと思うんだけど」
「それじゃぁ、中央交差点辺りだね。そこらを丸く回ったら見つかるかも知れない。それで駄目だったら、交番にお世話になるといいよ」
「え、と… …。あ、そうか」
「儂も今、舞を見に行くところなんだが、どうする。一緒に来るか」
知らない人についていくなよ!って、透の声がしたけど、この場合どうなんだろう。見た感じ、全然悪い人のようには見えない。それに何でかな、どこかで見た感じがする。
僕ん家そんなにお金ないんだけど、と最初にことわったら、おじいさんは笑った。
「坊やは誰かと一緒に来たのかい」
「えーとねぇ。僕の他に三人」
「友達かい」
「え?えーと…」
どうなんだろう。おとーさんみたいなのと、おかーさんみたいなのと、友達みたいなのと???―みんな違うような気がするんだけど。
首を深く傾げだしたくりぼうに、おじいさんは無理強いしなかった。ぼうぼうの眉毛を斜めに下げて、にこにこと笑った。
笛と太鼓の音が大きくなっていくから、中央に近づいていっているのは分かる。ただやっぱり、くりぼうの目線からは、前を行く人の背中を見上げるのがやっとだ。上空は紺一色。これは、道案内がなければ泣いてたかもしれない。
「おじいさんはこの辺りに住んでるの?」
「いいや―もっと、ずっと遠くだよ」
「じゃぁお祭りを見に来たんだね」
「そうだねぇ、それもある。…大丈夫かい?」
おじいさんは時々振り返り、くりぼうがついてくるのを確かめてくれた。道連れとなる旅は短いのかもしれないけれど、その首飾り格好いいねぇ、とラズの時計を褒めてくれたり、ガラガラ鳴る缶の中身を聞いたりと、五月蠅くないほどに話しかけてくれた。
「それ、開けてみないのかい?」
「うん、まだちょっと」
耳に当てて振ってはみるけど、期待と失望が入り交じった感覚が、熱のこもった一夜に妙に心地よかった。ガラガラン。ガラリガラン。
何が入ってるのかなぁ?―氷の甘いところをすくって食べる。笛の音がいよいよ高くなってきた。
「―あっ」
浴衣の袖を肩までまくってメラメラと異様な闘志を燃やしている後ろ姿を発見。
「み、見つけたーーーー!!!!」
「おじさん、だってあとたったの一匹なんだよ?僕はカメがいいっったらカメがいいんだ!…うあ?くりぼう?」
抱きつかれたフレイは、穴が空いた取り器を片手にびっくりしている。水色の浴衣に藍帯のシルエットと、僕が髪を結わえて挿してあげた花のピン、忘れてなくてよかった!
フレイは玩具の赤い金魚を二匹腿の上にしていた。『五匹で金魚一つ、十匹で緑ガメ一つ』と屋台の表に張り紙してある。長細い水槽の隣に、木彫りの金魚とカメの細工を並べた台が置いてあった。
「あれ〜?透とラズは?」
「え、えーと、それは…」
またやったとは言いにくいくりぼうは、どう言い訳しようかお茶を濁したのだが、
「…このおじいさんに道を訊いて」
「おじいさんて?」
「え、」
振り返った場所に、ここまで連れてきてくれた人はいなかった。舞を見に行ってしまったのだろうか。見渡す何処にもその姿はない。
「こら、べっぴんのねえちゃん!その紙じゃもう無理じゃって、あきらめんさい」
「待ってよ。まだこの端っこを上手く使えば…うむむ」
フレイが探偵みたいにプラスチックの輪を覗き込む。そこに二重に声がかかった。
「―いた」
「くりぼう!フレイん所行くなら一言残してけ!お参りん時の二の舞になったかと思っただろうがっ」
「ご、ごめん」
ラズと透は、くりぼうがかき氷を買ってから今まで、フレイと一緒にいたのだと思ったのらしい。だが緑ガメを手に入れるべく精神集中しているフレイには聞こえていない。「調子はどうなんだ」と、ラズがその隣に立った。
「交換まであと一匹なんだ」
「作り物のカメか…」
「何で微妙に残念そうなんだよ、ラズ」
透が水張りの箱を覗き込むと、眼光鋭く、フレイは宙に泳がせていた手を止めた。赤い金魚の一群れが、水面近くで口をぱくぱくさせている。これはもしや、いけるのか?
「参ります!」
見守る三人の目が、吸い込まれるように一つ箇所へと集まり―

ばっしゃんっっ!!!!

「… … …」
「… … … …」
「… … … … …」
水槽の片隅に、逃げた金魚が寄り添った。ひれをひらりゆらり、どうしましたかと涼しげに。
輪の最後の一片が、今度こそ捲り上がった。三人三様の痛い沈黙に囲まれ、フレイは叩き付けた右の腕をそろりと上げた。握った柄を眼前に持っていき、立ち座りした身体の角度を少しばかりずらして首を引っ込める。
輪の中に映ったのは、被害を被った―かぶった、ラズのジーンズ、透のもろ顔面、くりぼうの浴衣の衿下部分。目を瞑った透は、もちろん眠りこけているわけでなく、眉間の皺がぴくぴく引きつっている。フレイは恐る恐る取り器を膝元に落とし、耳の後ろを掻いた。ええと、何というかこれは、
「… … …うわぁ」
「『うわぁ』、じゃねーだろがぁぁーーーー!!」
「…右に同じく」
開眼した透に同意するラズ。水の孤をくぐったくりぼうの被害が最小だったのだが、こちらも頭に降りかかった小さな滴をぷるぷると振るい落とし、冷たい、とぐずっている。かき氷、は無事のようだ。
「あーあー、派手にやってくれおって。水代えたばっかりじゃったから良いものを」
金魚のオヤジは水を指ですいっと掻き、ねえちゃん、見かけによらず思い切りがよいのう、と呆れとも褒め言葉ともつかないことを言う。ねえちゃんではないのだが。
「ごめん!ごめんてば!…あ!」
フレイは素っ頓狂に声を上げた。限りなく水面に近づけ準備した器の中に、身体の細い金魚が、ひい、ふう、みい…。
ぱあん!と花開いた紫の灯に、思わず皆が顔を上げた、その瞬間、
「おじさん!もらってくね!」
台座のカメに素速く手をひらめかせ、小物を抱いたフレイが駆け出した。取り残された器が、遭難した救命ボートのようにぷかぷかと水槽に浮いている。
「特等席とっとくからねー」
「ちょっ、おい!行くぞラズ!」
「… …この紙、少し薄いのではないだろうか」
「あーもう、後で!後で!」
透が橋の架かった川縁へ早足で急いだ。
「ま、待ってよ!… ぁ」
上が再び照らされた一瞬、くりぼうは先ほどのおじいさんを人山に見た。こちらを見て目を細めたような気がしたが、電光と人影とに揺らいですぐに消えた。

呆けているとラズが手を差し出してくれた。
すらり長い右腕の手首と肘の真中ほどに、皮膚が縮れた白い跡。小さな二つの眼が、それを見て動けなくなった。
柔らかな声。陰影濃い面立ちは優しかった。首もとで髪を結ったこの人は、多くの声を飲み込みながら、知らないのを責められた時と同じ、一言を。


空に焦げた匂い。ひゅるると昇る千輪菊。あるいは牡丹。
枝垂れる間に屑ともならず、紙器漂う十の赤。


指を乗せ、手を繋ぎ、
首が痛くなるのも忘れて花火を追った。

Music by 煉獄庭園