ままごとです。-15-


夕食はスープとパスタだった。時々、香鳴が留守中の様子を尋ね、フレイやラズがそれに答える。狭いアパートの一室としては、ありふれた光景。ありふれた声。それでも何かが違うと気付く。分かっていながら、自然に振る舞おうと努力する。笑い顔に、罅が入ってしまわないように。

時計がチッチッ、と針を鳴らしている。九時を超えた頃、透は「コンビニにノート買いに行ってくる」と言って部屋を出た。香鳴がくりぼうに向かって首を捻ると、少年は目の縁を一回り大きく開いて、立ち上がった。
「僕、もう眠い!」
くりぼうは高らかに宣言した。興奮気味な小さな顔には、しかし睡魔が訪れているようには見えなかった。緑茶を飲んでいたラズが、白い額を居間の方に傾げた。ギクシャクした足取りは、誰の目にも不自然だったが、鈍いラズがそれに気付いていないことを、香鳴は祈った。押入れを往復して、敷き布団と掛け布団、それに毛布を一枚引きずり出して、くりぼうはすっぽりと中に収まった。
「…じゃあ、寝ます」
もごもごと、布団の中からそう言うと、わざとらしさ百点満点の寝息を立てる。香鳴が流しにいるフレイを盗み見ると、彼の肩は小刻みに震えていた。…こいつは、『ふり』をすることも放棄している。二人のように策を練ることもなく、皿洗いという義務に準じて場を離れない。香鳴は仕切り戸をのろく閉めた。
「話、するか」
禁煙を義務付けられた部屋で、煙草を吸うことは出来ない。胸ポケットから取り出した箱を、気休めにテーブルに置きながら、何から言うべきか、出だしの単語を頭の中に並べる。理路整然にとはいかなかった。
「アシュリー・グレイスの説明から始める。お前が今一番聞きたいことだろうからな」
少女の名を口にすると、グレープフルーツの皮を囓ったような苦さが込み上げてくる。少女に責任はないものの、厄介な事になったと、眉をひそめずにはいられない。
「―養子のことは、俺も初耳だった。英国に行っていた時、真梨江も執事も、それについては一切触れてこなかった。俺が彼女の存在に気付いたのは、メイドにメモをもらったからだ。…ミミ、覚えているな。彼女からだ」
香鳴は細かく折られた紙片をポケットから取り出し、ラズに渡した。
薄茶色の小さなメモ用紙に書き込まれた字体は、決してきれいとは言えなかった。急いで書いた様子が、如実に現れている。
「…マズロー、…」
「アシュリーがいた所だ。ここからは聞いた話だからな。と言っても記者のアニーが調べたものだから、十中八九事実と思って構わない。そもそも何故真梨江がそこを選んだかというと、主人であるクロフォードが経営するダニエル社が、定期的に基金を送っていたことに理由がある。マズロー以外にも幾つかの少年少女保護施設、落ちぶれた僧院の復興にも低金利で貸し付けているんだが、まぁ、それだって返金を期待しているわけでなく、ほとんど慈善事業の範囲だ。ダニエル社っていうのは、お前も知っての通り、株の発注を主とする証券会社だが、事業の内容は話と関係無いので割愛する。とにかくクロフォードが失踪した後、副社長として就任していたノエルという男が、後任に就いた。クロフォードほどではないが、なかなかの手腕らしい。お前の父親が無き今でも、屋敷が潰れずにすんでいるからな。で、二年に一度活動内容を執事の方に報告しに来ることになっているんだが、その時、姉が養子の依頼をしたと、そういう話になってる」
香鳴は回りくどい自分の言い方に辟易する。少女がどういう経緯でハザーに迎え入れられたのかは、さほど重要ではない。考えなければならないのは、何故今更養子などを取る気になったかだ。
「…ミミは、最初、真梨江がお前のことを諦めたのではないかと言っていた」
曇り空の色をしたラズの目が、視線を上げて香鳴を見た。
「だが、俺は違うと思う」
その理由が息子に対する愛故だと、そう言えたらよかった。
香鳴は煙草の箱に手を伸ばして、止めた。テーブルを叩く指の音に、フレイが振り返る。有り難いことに、「灰皿どうぞ」の特例は出てこなかった。香鳴は思う。寝たふりしているくりぼうが、戸を開いて抗議しなきゃいいが。あいつに泣かれるのは、嫌だというより苦手なのだ。
「少し違う話をしよう」
香鳴は、スーツの両ポケットに手を突っ込んだ。テーブルクロスの飾り模様に目を落としながら、唾を飲み込む。
「一階から地下に伸びた階段の下に、赤の間はあった―いや、あるというべきだな。真梨江は再開した俺に、お前は病弱で寝ていると言った。一目見たいと部屋を尋ねると、真梨江は微笑んで夕食の時にと約束し、俺も気にしなかった。床に伏せているなら、無理をさせては悪いと思ったからだ。だが真梨江は時間になっても降りてこなかった。メイドに姉さんはどこにいるのか聞こうとしたら、彼女は真っ青な顔で口元を震わせている。ウェインが食卓に来る前に、俺は真梨江の部屋に向かった。メイドが、俺に向かって悲鳴の様な声を漏らした。私がお呼びしますから、どうぞ席でお待ち下さいと、彼女は懇願するように引き止めた。その時、やっと俺は気付いた。この屋敷の住人は何かを隠している、と」
水音が持続している。流れ出る音が切れるか切れないかの寸での所で、蛇口は開いた状態を保っている。水道代光熱費を家計簿に一つ残らず記載する彼の手は、皿一枚洗うのに通常の三分の一くらいの速さで動いている。坊に関してどこまで知っているのか、知っていないのか。それを確かめる術を、香鳴は持ち合わせていない。
「真梨江の部屋に行こうとして階段を登りかけると、白い物が落ちているのに気付いた。拾ってみると、薔薇だ。薔薇の花弁が毟られるようにして絨毯に落ちていた。一階の居間に飾られていたのは赤い薔薇で、俺が目にした限り、白い薔薇が飾られていたのは姉さんの部屋だけだった。なら姉さんはこれを手に持って降りてきていたということか、一体、何故薔薇なんかを―疑問は別にして、俺はとりあえずそれを辿って、あの階段を見付けた」
ラズの瞳が、僅かにしぼられた。隣部屋を仕切る戸は開かれない。
「お前は覚えているか。俺がお前を見付けた時のことを」
誰に対しての懇願だろう。俺か、坊か、それとも坊を慕う彼等にか。
「始めに目にしたのは木馬だった。血をぶちまけたみたいなあの部屋で、青い頭を小刻みに揺らした赤ん坊用の馬。それからカード。涙型のマークを頬にした女王のトランプ。絵本。そして、浮き上がるような、白。ベッドで真梨江が笑っていた、お前の首を絞めて。俺は慌てて、真梨江を引き剥がした。咳き込むお前に、俺は大丈夫かと尋ねた。お前は言った」


―誰。

あなた、誰。

「動転した俺は、お前を真梨江から離すのに必死だったよ」
ああ、あと一息だ。数歩もすればゴールインする。だが、誰が拍手してくれる?
「だから気付けなかった。あの時、お前は何歳だった。十二歳、そうだな。お前が閉じこめられたという五歳の細腕ならともかく、俺が考えていたのはそれだ。俺が思い出そうとするのは、あの趣味の悪い室内色じゃない。白だ。薔薇を抱いていた真梨江の腕には、棘による掻き傷がついていた。それだけだ」
ラズの目から、すうっと色が引いていくのが分かった。波が押し寄せる予兆だろうか。それとも、引いていったまま、無心になるのだろうか。壊したくはない。壊したくはないのだ、決して。
声もなく、香鳴は隣室に呼びかけた。
くりぼう、来るなら今だ。来て、俺に殴りかかれ。
「お前は逃げなかったんだ。逃げられないんじゃなく、逃げなかった。俺に掴みかかろうとした真梨江の腕には、痣一つなかった。振り解こうともがいた痕さえなかった。例え長く捕らえられ、気力を削がれていたとしても、殺されかけている者が抵抗一つしないなんてありえない―。一つの事由を除いて」

―あなた、誰。

もう大丈夫だと頭を撫でてやった子供は、そう言った。助けて、の一言ではなく。
ピチャン…。
水音が止まる。
ラズは香鳴を見ている。唇がゆっくり動く。人が殺される時に抵抗しない、そういう事があるとすれば、と。
「殺される理由が存在し、それをその人間が納得している場合。そうだろう、香鳴」
頷き返せば、彼は笑うだろうか。坊の人形めいた瞳は、その機能だけを有して、ただ在るだけの物のように見える。それでいてふとした拍子、切り離された魂が返るように瞬きして、辺りを見回す。
ラズは自分の髪を邪魔そうに後ろにたくし上げて、椅子から立ち上がった。食器が納まっている棚のガラスを引いて、端が焦げた灰皿を出し、香鳴の目の前に置く。
「煙草。一本ぐらいなら構わない」
フレイがすかさず換気扇をまわすのが、恨めしい。ライターを取り出して、香鳴は好意を頂戴した。一服して、灰を皿に擦りつける。
「記憶が全くない、と言えば嘘になる」
ラズは真上にぶら下がるテーブルライトを見上げた。
「何をしたとか何を食べたとか、そんなことなら、ぼんやりと思い出せるものがある。奥様には内緒です、とミミがこっそりドア下の隙間から差し入れをしてくれたこととか。―何故だろう。その時何を考えていたかの方が、俺は思い出せない」
部屋に押し込められる寸前、泣き叫ぶ坊を見たという世話人がいたから、言われるがまま従ったのではないのだろう。
ダークグレイのラズの目が、香鳴を促す。どうせなら最後まで言え、と。それを見て、香鳴は胸に引っかけていた何かを諦めた。この子のためにとか、この子を信じる者を思ってとか、そんな生やさしい気持ちで救えるものは存在しない。
「思い出せ、ラズ。彼女に殺されても構わないと思った、その訳を。真梨江がアシュリーを呼び寄せたのは、母性云々の問題じゃない。彼女は多分、お前に用がある。そのための養子(えさ)だ」
「一つ聞きたいんだけど」
いつの間にか二人に向き直っていたフレイが、ひどく真面目な顔をして尋ねた。
「首を絞められた後のラズは、正常な目をしていた?」
「そう見えたが―それが何だ」
香鳴は二度目の灰を落とした。
口元を少し上に曲げ、フレイは軽くウインクする。
「もしかしたら正常でない者同士、それだけの話ってこともあるからさ」
「喜劇だな」
「うん、めでたしめでたし。…ってな訳で、はい、そこの人。もう入ってきていいよ」
フレイの手の甲が、流し場の壁のタイルを打った。指の幅ほど開けてあった窓の向こうで舌打ちがして、玄関のドアノブが開かれた。
「コンビニ、やってなかった」
24時間営業から離脱したコンビニエンスストアは世にも稀だが。
透は靴を脱ぐなり「疲れた、寝る」と、くりぼうの寝ている横に潜り込んでしまった。もぞもぞ布団が動いて、くりぼうが「う〜」と唸りながら出てきた。
「僕が敷いたのに!」
丸く盛り上がった布団を蹴り上げるくりぼうに、ラズの声が掛かった。
「寝てなかったな」
磨りガラスの向こうで、赤と黄色の寝間着のコントラストがびくりと跳ねた。
「ね、寝てるもん!」
明るい色の斑模様は、そう主張するなり、透が横取りした布団の足下に丸まった。ラズはそれから目を離すと、香鳴が握り締めている箱から一本引き抜いた。
「火は」
「いらない」
片手をジーンズのポケットに収め、囓るだけの動作を二度繰り返す。
「あの子は、お前に何か言ったか」
「こちらが気に入っているなら、戻ってくるな」
香鳴は吸いかけの煙草の頭を潰し、席を立った。戸を引いて、居間に繋がった玄関へ足を降ろす。風邪引くんじゃねえぞ、そう布団の中の二人に言い置きして。
ドアの外に香鳴が見たのは、半月よりもぷっくりと丸みを帯びた月だった。階段を降りた香鳴は、自分を追ってきた足音に振り返る。
錆びて所々赤茶けている、ボロの鉄階段。月光を顔半分に浴びた青年が、そこにいた。金糸のような髪が、風に煽られては鼻筋に張り付いている。純血を誇るアーリア人でさえ羨むような、見事なブロンドを、しかし彼は一切手を加えず、伸びるままにしている。見かねたフレイが定期的に切ってやってはいるものの、その見た目は肩から腰にかけて、数センチ変わる程度だ。
「長くなったな」
目を細めて香鳴は言う。少年だった彼の髪は、まだ首筋にかかるほどだった。
「写真で見たが、お前の父親も同じ色の髪をしていた」
鼻先で揺れる自分の髪に少し目をやって、ラズは返す。
「父の顔は、あまり覚えていない」
「なぁ、坊よ」
香鳴はさっきとは別の問いかけをした。
「真梨江がお前を呼び寄せたなら、お前は帰るか」
安アパートを見上げながら、思う。住む場所を見付けてやったなんて恩義を着せるつもりなど毛頭ない。傷の舐め合いは御免だと、切って捨てることだって可能だっただろうに、こいつらはまるで鼠が寄り添うようにここにいる。俺はお前を連れてきたけれど、出来たことと言えばそれだけだった。一度手を取っておいて、そのくせ罪状を思い出せと言うのは矛盾だと、責めてくれればいい。
「―俺だけを救いたいのではないのだろう」
まるで道順でも言うように、金髪の青年はそう言った。直接に口には出さなくても、彼自身がよく理解している。

もし、もし、彼が母に憎まれるに値する事をしたとするなら、それは―。

「父の事は俺が思い出す」
「辛くなるぞ、きっと」
それでも、とラズは浅く頷いた。
肺に呼吸を送って、香鳴は踵を返した。
「香鳴」
呼びかけられた声に、少しだけ立ち止まる。振り返って青年の口の動きを見た。最初は縦に、次は横に唇が伸縮する。
―馬鹿野郎が。
それは、お前にまとわりついている彼奴らに言ってやれ。
うだるい風が流れる夜。雨が降ればいいと、そんな風に思った。

香鳴の姿が夜道に消えてから、青年は部屋に戻ろうと背を返した。
何段か登ったところで、二階の降り口に誰かがいることに気付く。
「―くりぼう」
布団に隠れていたはずの子供が、そこにいた。
「やだ」
中に、と口にしたラズの言葉を遮って、少年は短く吐き出した。二階の通りに灯る壊れかけの電灯が、時折切れ切れに点滅する。
「やだ、やだやだやだいやだっ―!」
膝ががくがくと震えた。両手で耳を塞いでも、あの・・声が脳髄を掻き乱す。見開いた目に涙が溜まり、目の前の人をうまく映せない。
とさっ、と肩に腕が触れた。柔らかい髪が頬に触れて、背をあやすように叩かれた。
「大丈夫、大丈夫だから」
登りきってしゃがんだラズが、優しい声で言う。止まらないしゃっくりを懸命に押し殺しながら、少年は鼻をぐずった。
「いやだよ」
こんな事、言われてる方のが困るのに。困らせるのは嫌なのに。堰を切って、無茶苦茶な言葉が濁点まみれで出てくる。
「いが、ないで、ひとりはやだ、やだよ…」


     *  *  *

「狸の気持ちは、どう?」
枕元にかざしたフレイの手が、固形物をぱらぱら落とした。次いでセロファン紙を巻いて捩ってあるそれを一つ掴んで、腕の根から先がのっそり外に現れる。
「何これ…チョコレート」
「疲れた頭には糖分が一番」
不機嫌そうに無言になった透が、包みを開いて中を口に放り込んだ。
「透は頭良いと思ってたんだけど…以外に馬鹿だねぇ」
「お前に言われたくない」
くりぼうと二人で布団で聞き耳立てることには気が向かず、かといってフレイのように『皿洗ってるんだよ何か文句ある』と強気に出ることも出来ず、結局外で立ち聞きすることを選んだ。
「俺の方が上手くするって、やってることはくりぼうと変わらないんだけど」
「うるさい」
もう一個どうぞ。フレイは転がっている包みを指ではじいた。目の前に飛ばされたそれを見たまま、髪を所々跳ねさせた少年は眉を険しくした。
「なぁ、確認したいんだけど」
「どこか聞き取れなかった?」
会話なんて全部筒抜けだ。
「最後まで聞いた…要約すると、じゃあこういう事か?あいつは母親に疎まれる理由があって、それで一回殺されかけていて、よりにもよってそれも仕方ないって思ってるって、そういう事なのか」
「疎まれるっていうか、愛憎だと思うけど」
「何で」
「それを思い出すんでしょう」
残り味に舌が逃げる。ビターじゃないかこれ。透は枕に顔を突っ伏した。
「…あいつ帰んのかな。理由が見付かったら」
置いて行かれるっていうのは正しい言い方じゃない。約束して始まった訳じゃないのだから、いなくなるっていうのが本当。
「お前は?」
顔を横にして、フレイを見上げる。そう言えば、始めの居候こいつじゃん。
「僕?」
んーっと天井をぼけっと見上げてから、彼は額を降ろした。
「僕の用事はこっちだから。行かないよ」
じゃあ用事が終わったら?それを聞くのも、今のタイミングではないような気がして、透はまたそっぽを向いた。
「何?もしかして寂しい?」
何でこういう恥ずかしい事を、さらりと言ってしまえるのだろう…。
だからお前といると疲れるんだと、心の中で悪態を吐いた。頭に手が置かれて「止めるよ」という呟きがかかる。
ただ殺されるために行くというなら、絶対に止める。
透は頷いた。
ラズを呼びに行ったくりぼうだって、そう思うだろう。あいつが一番彼を必要としているはずだから。



     *  *  *

「…ぼう、くりぼう」
目が真っ赤だ。癇癪が少年を過去へと引き戻す。散らかった部屋。冷蔵庫を開いても何もなくて、何日も食べてないから胃がきりきりする。毛布に体をくるんで、落ちくぼんだ目をうっすらと開けた。インターフォンが鳴っている。
(ママ…?)
ママが帰ってきたんだ。そうだきっと、そうだ。おぼつかない足取りで、急いでドアを開いた。
射し込む光。光。目が痛い。ママはどこ、あなたママを連れてきたの。分厚いファイルを脇に挟んだ、男の人と女の人。酷い目に遭ったね、もう心配ないから。手を引かれて恐怖に首を振る。駄目だ、ここにいなきゃママが僕を見付けられない。ママは来るよ。すぐに、きっともうすぐ。
「くりぼう、お聞き」
何だか暖かい、ママを迎えに外に出たから。今日は天気がいいんだ。ねえ、何でそんなに哀しそうな顔をするの。
「俺は君のママにはなれないけれど、何も言わないで行ったりしないから」
(来ないよ)
お日様の色が眩しい。
(君のお母さんは、戻ってこない)
ごめんね。ごめんね。ごめん。
「フレイも透もいる。一緒に、いるよ―」

肩をぎゅうっとされて、少年の目に手すりの向こうの金光が射し込んだ。似ているけれど、違う。もっと細くて、もっと長くて。
滲んだ視界に、昼下がりの色が映った。

ああ、やっぱり帰ってきた。

くたりと笑って、青年の肩に顎をかけた。指が耳から離れ、垂直に落ちる。泣き疲れた子を抱え、ラズは足を立てた。瞼を伏して、そうして歩を進めた。